戸山公園の森から……
町姥(まちんば)のたわごと

■快速から各駅の山手線、車内でほっと一息です。映画でお馴染みの堀部安兵衛決闘の高田馬場もなつかしい名前。地平線報告会がこの高田馬場の戸山公園に移ってから、どの位でしょう。公園の中で半袖の中年女性が颯爽と追い抜いて行きました。あの颯爽ぶりはきっと地平線に行く人ではないかと、裾の長いよれよれのレインコートを着てないけど、ちょっとした刑事の勘です。
◆まさに、ぴたり。二階の会場に入れば、もともと報告者やスライドをよくよく見たい、見たがり屋。さっさと前の席を見い出します。おや、一番前に向後元彦さんご夫妻。その後に追いぬいた女性も、しかも中年男性二人も一緒です。このお二人はアジアの空港で予定していた便が欠航するというアクシデントに遭い、その時食料をたっぷり持った彼女に遭遇。キーワードは「マングローブの向後さん」だったそうです。
◆いよいよ今夜の始まりです。長身の街道憲久さんが身をかがめて話すイヌイットの今の生活。しかも今夜は珍しくスライドなし、と言うことでしみじみとお話しだけ。街道さんの話に私はアリゾナの先住民居留地で感じた事を思い出しました。仕事がないけど、政府からお金はもらえる。やることもなくアルコールに走る人たち……。
◆そして休憩に入りました。後ろを振り向いたらいつの間にか空席なし。みなさん地平線通信10月号の街道さんの文章に心打たれ、お会いしたい一心で集まってきたのでしょう。
◆ふと編集長江本さんがケーキの入ったパックを持って立ち上がったのを、目ざとく睨んだ私は後方に移動しました。オッ、花の地平線代表、加藤千晶さんがあのケーキのケースを手にしています。一つ頂きです。おいしい。今回も地平線のかくれファンの差し入れでしょうか。ありがとうございます。次々と人が群がり千晶さんのにこにこが一段と輝きます。
◆背の高い車谷建太さんもいます。肩をたたいたつもりが腕でした。その腕の逞しいこと、さすが津軽三味線のプロの腕「すごいねー頑張ったねー。あなたが街頭ライブとは。地平線パワーですね」「ほんとに地平線のおかげです。僕も思いかけなかったんですよ」車谷さんの「出会いからだった路上ライブをきっかけに」地平線通信10月号の彼の手記が話題のベースです。まだの方は10月号をどうぞ。地平線青婦人部の千晶さん達との行動を頼もしく見ているうちにあの記事です。たいしたもんです。体格だってひと回りも頑丈になっています。
◆おや、飄々とした坪井伸吾さんを見つけました「坪井さんおめでとう“世界の果てに行ってきました”展大成功だったんですね」(10月号の通信の「あとがき」参照)。あら三輪先生です。「ハーイ、三輪さん。「宮本常一と歩いた昭和の日本」25巻の「青春彷徨」で、田中雄次郎さん、書いてますよ。三輪先生の弟子ですって。彼の宗谷岬から佐多岬まで徒歩旅行記面白いですね。まさに時代の青春ですね」「エッほんと、僕まだ読んでないよ」これまた彼一流のご挨拶でしょう。
◆宮本常一さんが所長をされていた観光文化研究所の「あるくみるきく」で三輪さんの弟子の田中さんが「日本縦断徒歩旅行」(1978年8月)という一冊を書いていて、それが復刻されたのだ、とあとで江本さんに聞きました。70年代まで仕事だけの日々だった私は当時の観文研といまの地平線会議との関わりがよくわかっていないのよね。
◆再開した後半では、宮本千晴さんも登場です。クライマックスに千晴さん。この取り組みが絶好です。60年代に豊かな経済力を得た日本、70年代は既成の権威に若者たちが叛旗を掲げた「文化の下剋上」の季節でした。それは、アーティストだけでなく青年たちの熱い情熱と行動が拡がり時代の気運が生まれました。人々は旅をして異文化を伝統文化を新しい空気を背負ってきました。そして今ここ戸山公園の森でいろいろな世代があの時代を旅し、今も旅する先達と一体となった熱い夕でした。(金井重