遊行期をどう旅するの?
━━加藤千晶さんへのお返事
 一枚のファクスが届きました。女は何才まで野宿ができるか、というテーマの持主加藤千晶さんからです。先月(9月25日)三輪先生の報告会でしげさんが会場から「旅する人は死ぬまで旅するのよ。林住期の旅は易しい、遊行期をどう旅するか」と言っていましたので、という前書きで質問が六つ並んでいます。順不同ですがまずは返事です。
<その1> 林住期の旅は簡単か
 そもそも林住期、インドでは人生を四住期に分けています。日本流にすると、(1)学生期、社会に出る20才前後まで。(2)家住期、現役時代。60才の定年まで。(3)林住期、定年でポンとお役御免になる60才から70代まで。インドでは漸く家業を子供に譲り、アシュラム(お寺の夜坊)に滞在しますから、誰でも“我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか”と考えるようです。さすがインドですね。アシュラムには夫婦できてる人、姉妹、ひとりの人、外国人も結構います。林の中、平屋のコテージ風室内は、ベッドが二つ、シャワーとトイレだけ。日中は瞑想の時間たっぷり、食事は板敷大広間、リピーターも大勢です。私の同室者はドイツ人、彼女は北部のアシュラムからインドをあちこち旅行して、ここ南のアシュラムに辿り着いたところ。若いけどとても敬虔。時にはリーダー付日本人グループが一泊してさーっと帰るのにも出会いました。さて日本では団塊の世代が定年になり、林住期人口も増えました。なにしろ60~70代は体力・知力ピンピンです。ここで旅に出れば正に人生後期の通過儀礼。そして世俗の金や地位、名誉からも自由になれば、ますます知力は冴え健康になるでしょう。
<その2> 遊行期をどう旅するのか
 林住期の次、四住期のラスト。80代から死ぬまでが遊行期です。学生期、家住期、林行期わかりますよね。でも遊行期は難かしい。良寛さんが浮かんだっけ。それでも遊行期になればわかるかなと思っていましたが、そうは問屋が卸しません。そもそも80代に入ると体が明らかに変化します。先ず目、これがパッチリ目を開けて、なんてこともままならず、眼鏡は万能ぢゃあないのです。これだけぢゃあない、一事が万事よ。その代り特別の修行をしなくとも、金や名誉や地位にはとっくに関心が消え失せています。そして縄文土器や埴輪に親しみがまし、ルーツにこだわり、自然に日本の旅に回帰した所です。4月の高千穂では天孫族に破れた国津神・鬼八の鎮魂の神楽に感動し、神活の風や気を深呼吸しました。また6月の水俣では、ヘドロ埋立地の石の地蔵さんに合掌し、この聖地で海風の中で、石の地蔵さんを彫ることができたらと思い込み、ハッと聖地の旅こそ遊行の旅なのだと気づきました。
<その3> 聖地とはどこですか
 五体投地で聖地を目ざすチベットの巡礼者、ペルーのチャビン村では地下神殿の神様、BC一千年のプレ・インカのランソン像。メキシコではジャングルの中のシビルチャルトーンなどマヤの神様を礼拝しました。砂漠、高地、サバンナどこにでも、ひとりでに合掌してしまう聖地があり、大地と幾世代にもわたる関わりの中で、伝承されてきた人々の祈りとくらしがあります。小さな町でも教会のお祭りに出合えれば本当に楽しい。水俣も正に聖地です。不知火海と太陽と祖父母・親・子三代にわたるくらしの中で、人々の生命の歴史と祈りが受け継がれているのを感じました。
<その4> 旅に倦きることはないの? 今の旅の苦しさは、10年後の私は旅を楽しんでいるでしょうか。
 ウーン、あなたの10年後ですか。以前ある女性雑誌で“あなたの5年後”という取材をうけたことがありました。「旅をしながら人生を考える。これからもこういう旅をくり返していると思います。70才までは。」と言ってるんです。しかも人と交流しながらと。今すでに80代ですよ。われながらおかしいですね。当時は林住期。今は道草食いながら自分のための旅です。今月(10月)は法蔵さんと行く吉野山の旅で、柳沢安闍梨のゴマ祈祷と滝行を体験してきました。この吉野行に合わせてかねてアクセスが悪いと聞かされていた、天河大弁財天社に寄り道して、天の川温泉も忘れず、大弁財天社の朝拝にも出席しました。この寄り道道草が楽しい。12月は広島です。30年ぶりになります。広島平和映画祭では見たい映画もありますし、民族映画を撮り続けている制作者の講演も。そして広島まで行ったら周防大島の文化交流センターです。この道草の組合せから旅が始まります。今月の天河では、バスの分岐点から天河大弁財天までは、若い人なら歩ける距離。私は吉野に備え1日3本だけのバスを待ちます。吉野では西行庵まで往復し、金峯山寺蔵王堂の脇道から下り四百段の石段を降りて滝に打たれ、この石段を昇って戻りました。道中のこの体力の組合せも大切。好き勝手な旅とは言いながら、倦きるなどの閑はないわね。以前中東のバスターミナルで、杖をついた日本のお爺さんバックパッカーに、しげさんと声をかけられたことがあります。ウーン中東のどこだったか思い出せない。昔のことは直に忘れます。そして10年先5年先なんてわからないよ。明日のことだって…。では取っておきの一首。
 あなたなら  惚けてもきっと  徘徊ね
 ニヤリと今日も  駅への道を    しげ