開聞岳山麓に野元甚蔵さんを訪ねました
■18号台風のあと、指宿の山での集まりを終え、里に下りてきました。翌朝、開聞岳行きの始発バスでいよいよ野元甚蔵さん宅です。「ごめん下さい」と一歩玄関に入る。初めての緊張はありません。なんとなくいいメ気モに包まれました。次女の菊子さんが「どうぞ、どうぞ」とおっしゃる声で、 飄々とした九一才の野元さんが現れました。お元気です。
◆私は正面の額に入った書、等観の署名に「あら多田等観さんですね」と思わず声に出してしまいました。野元さんが「そうです。『胡童向日 吹胡笳』、胡童は中国華北地域の子ども、その子が明るい日に向って吹胡笳、芦の葉を丸めたものを吹くのです」。あいさつもそこそこに、気分は一気に戦前のチベットに飛びます。「上の額の『真実一路』は長女の書の先生が、私の好きな言葉を書いて下さいました」。菊子さんは「真実一路はわかり易いわ」。私は「野元さんのお人柄そのままですね」と、もう昔からの知合いのような気分で、お部屋に入っておしゃべりが続きます。
◆「昨日はいとこ会とおっしゃってましたけど、野元さんは末っ子だったから、御兄弟のお子さんですか?」。「いや家内のいとこ会です。昔から家内と一緒にいつも出てました」。「奥さんは」。「亡くなってもう十年以上です」。「ずーっと菊子さんと御一緒ですか」。「三月までは勤めておりました。四月から家であれこれ、お弟子さんも来てる様です。家内に似て手先が器用で、洋裁も結婚式の花も造りますよ」。菊子さんのことからも、奥さんを偲ぶ優しい男性です。
◆あらあら、ゆったりと大きな犬が登場です。素敵なチョッキを着ています。「菊子さんの手造りですね」。「実は高齢だからと手術をしなかったら、どんどんお腹がふくらむので、傷口にパットも当ててるし、それでチョッキを着てるんです」。なんの話かわかるよという顔をして犬は、贅肉のない野元さんの脇にぺたりと、満足そうに坐りました。
◆時間は飛ぶように過ぎてしまいましたが、今回の旅に感謝です。いまも旅の、野元さんの余韻がひろがっています。(金井 重