「行ってきました長野 北京オリンピック聖火が通る」
金井 重
◆4月22日夕の地平線報告会、貞兼さんのハートフルな話が魂に響きます。「も一度26日のゼッケンを見せてください」。彼女は「友人を殺すなセーブチベット」を掲げてくださいました。
 私長野に行きます。
 カヌーで渡った川、何日も泊めて頂いたアニ・ゴンパ(尼僧院)、地元の人達と一緒にお祈りし、お祭りの宗教舞踏にも出会った日々、あの楽しい日々は思い出なのか、いま、今日の問題なのだ。私が行ってどうなるのか、そんなあと先の計算はいらない、私は行くと決めたのだから。帰宅して夕刊を読む、とりあえず「善光寺が出発式辞退」の記事を切り抜く。
◆4月23日 新潟行新幹線の中で昨夜の切り抜きを読む、ウーンこれは25日に長野に着いてないと、朝、善光寺のチベットで亡くなった人の追悼供養に参加できない。友人たちとの新潟での予定を25日長野着に向けて調整しました。
◆4月25日 新潟からのバスは長野にお昼に着きました。駅の観光案内所で宿探しです。ありました、駅前ホテルです。荷物を下ろしてまずは善光寺さんです。おだやかな春昼、表参道をゆっくり歩き、大きなカメラの男性に声をかけます。報道関係の方ですね、あ、産経さんですか、明日は善光寺と聖火のスタートが同じ時間ですね、あなたはどちらに行きますか、「両方行きますよ、自転車で追いかけます」そして借りてきたのでしょう、古い自転車を引っぱって行きました。駅でも報道関係者らしい人達を見かけました。いまはまだ春うららですが、いよいよの感が迫ってきます。
◆お寺の境内で青いジャンパーの人達に出会いました。あれ、中国の警備は辞退したという記事を見たが…と思いながら声をかけました。台湾人グループでした。「私達は大法好だ、中国にいる仲間達が弾圧をうけている」。さんざん話しているうちやっと合点がいきました。日本のことですから、もう今は報道されていませんが、大分前に報道された法輪功の人達です。ここ善光寺にお参りしバス一台はいま名古屋に向かったと。あーら明朝はチベットの人達がここにきますよ、同じ中国の弾圧をうけているのだから一緒になれればよかったね、と言ってみました。彼らは一緒にいるところを写されたらすぐ中国政府に逆宣伝され暴力派にされてしまう。そうすれば中国在住の人達が困るという。ウーンとにかく集まれば危ないのだ。今の中国では。日本でもか。帰りは散歩かたがた今夜の会場を下見してもどりました。
◆夜集会場に入ると、なんと受付で配布する資料をセットしている、貞兼さんと一枝さんがいるではありませんか。しかも集会が始まると、彼女たちがそれぞれチベットの実情の大事な語り部でした。私は今夜、チベットの青年(難民二世)と対談する女性から「シゲさんお元気でお変わりありませんね」と言われてしまいました。「どこでお会いしましたっけ」とお聞きして「ダラムサラですよ」。彼女は熱心に、セーブチベットの活動をずっと続けているのに、なんということ、赤くなってしまいました。
◆集会にも報道の人達が大勢いきています。これを機会にチベット問題たのみますよ。集会の後まだ熱気の残る会場で今夜の質問者に声をかけます、「あなたの発言よかったわ、善光寺さんがトーチの出発点を辞退し、弾圧されてるチベット人の法要を市民として喜んでいる、パネラーの皆さんから発言おききしたい。素晴しいと感心しましたよ」。若い女性は「上がってしまいました。そうですか、ありがとう」と明るい笑顔で。私も嬉しくなって帰りました。
◆4月26日 朝刊をみる予定でロビーに下りてきたら外では大きな赤旗がゆれ、「中国はひとつ」の叫び声が飛び交っています。道路いっぱいの人です、しかも次々と人と赤旗が集まってくるのです。とにかく善光寺めざして歩き始めました。善光寺の本堂前ではチベットの人達が並んでお経をあげています。本堂での供養も始まりました。チベット人の名前と年齢がよみ上げられ、いつまでも続きます。こんなに大勢の人かと無念の思いに体がふるえます。法要の後思い思いのプラカードを持ってトーチの終点まで、途中途中の大きな赤旗と叫び声に挑発されながら歩きました。
◆聖火リレーの終点に全員が集結した頃から、時々雨が降り風も冷たく、しんしんと冷えてきました。それでも全員が「チベットの自由」を、と約2時間、完全に聖火リレー集会が終わるまで立ち続け、訴え続けました。市民も入れない形だけのリレー集会の終わりでした。形だけ大きな赤旗と片や真摯な叫びを、世界中で見る人にはくっきりと見えたでしょう。聴く人にははっきりと響いたことを確信して、散会しました。
◆今までの私は、世の中が変わるということは形でない、数でない、ひとりひとりが変わることだと思っていました。今回の聖火リレーでは、均一の恐ろしさをしみじみと感じました。大きな赤旗で、数でおごり、迷いのない均一の恐ろしさ。いろいろな人達いろいろな生活と文化を感じられない、交じり合う楽しさを知らない、つぶすのも平気という恐ろしさです。これからの道は、交じり合う故に我あり、の道だと強く思いました。
 中国は ひとつの騒音 赤旗の 津波がおそう チベットの自由を
 チベットの 自由を僧侶を 帰せの列 民族服の 女性につづけり
 ふり回す でかい赤旗 でかい顔 でかい声だし 中国はひとつと