「学生たちのひとこと、良かった!」 ━━しげさん、旅の近況━━

今月も地平線通信(注:4月号)、いいですねー。 とくに学生のみなさん。 「ひっくり返りそうになった町田さん、それが普通なのよ」(びっくりしない人はいない)

「今夜の出来事はまさに運命的な出会いだった下岡さん、君もか」(みんなそうなのよ)  嬉しいですね。報告会も良かったけど、編集のねらいも良かったですね。学生たちに一言ずつ書いてもらったのがとてもいい。先生に一極集中するのではなくて皆が自分の言葉で書いていました。現役の学生にこのインパクト。地平線は永遠です。 さて私の場合、老兵は消え去るのみ、かな(2次会までつきあう)。フルコースは無理しないでいつもメインディッシュだけです。それでも地球は回る。循環はとても大切です。

去年ピースボート(ケニア-喜望峰-アルゼンチン-チリ-太平洋-イースター島のコース)から戻って、スタディーツァーで大阪の学生たちとカンボジアに行きました(その時「最後の狩人」の絵本を10冊用意して寄贈してきました)。現地解散のあと3週間カンボジアとベトナムをマイペースで歩いたのですが、ハノイでオートバイに追突され、現地で4針縫って帰国しました。 女の寿命は86才ですが、健康寿命は77才です。いまどきの日本ではこの間に大なり小なり老化が現れ、病院に行く。ここでは過重医療で死ねない老人になる。またまたねたきりが憎い。平均寿命が伸びる。江戸や明治のように死にどきにどう死ねるか、これが難題です。 ほどほどのところで本人が、とても山には住めないが市井に住む山姥ぞよと自覚し(生前葬などもいいでしょう)ラストステージの旅をゆくなどもあります。

「欲しがりません、勝つまでは」の少女時代、父や兄の招集・戦死という悲しみがありました。でも家の中に爆弾がふってくる、姉妹たちが巻き込まれるということはありませんでした。こちらから攻める側だったのです。 今や泥沼となったイラク、アフガンは銃後どころか日常的に水は止まり、弾が飛び込んでくる、家が焼かれ子供も大人もまきぞえになる。人々はどんな人生を生きているのでしょう。

生きぬきし 銃後の守り いまおもう
銃後なき日日の イラクアフガン

目下、こりずに次なるスタディー・ツァー、アフガンをねらっています。6月8日出発、カブールで現地NGOの人に会い、2か所の難民キャンプを訪ねバーミヤンにまわる15日間の旅です。カブールの国立美術館では「子供たちのユーレイ展」をやる予定です。小さなNPO法人が企画しているもので、その趣旨にひかれて参加を希望したわけね。イラク、アフガンなど戦火の中で子供たちが描いた「いま最も怖いもの」の絵。渡されたペンと紙に子供たちが描いた幽霊、それは子供たちの内なる原風景です。

スタディー・ツァーにこだわるのはピースボートの後遺症です。4月号の四万十ドラゴンに重なるところあり、です。なにしろ半世紀違いの若者たちと一緒でしたから。そして自分も楽しみながら私と社会の接点となるスタディー・ツァーなら、と。 山桜の時期、旧友たちと智恵子の安達太良に出かけました。そこで一首。

安達太良の さえずりをきく 山の湯の
  さえずりやまぬ 女の傘寿      (金井重)